古草紙昭和百怪

「ナゾの宇宙ボタルと『日本の宇宙人』」(「週刊読売」昭和37年)

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 宇宙人との交流者(コンタクティ)なら、「ナゾの宇宙ボタルと『日本の宇宙人』」(「週刊読売」昭和37年6月17日 20~23頁)でも紹介。「一昨年四月、突然、霊感的に宇宙人と話がかわせるようになり、以来、数百回にわたって円盤の飛んでくる場所と日時を『予言』しつづけ」る岡山の英語教師は、「『たった二分間だけだが、円盤に同乗した』と主張」。「一九六〇年十一月…、夜九時ごろ、富山県の宇奈月温泉近くで、…、円盤に乗った。」「円盤の大きさは直径三十㍍から四十㍍という大きなもの。内部は四つに区切られ、ソファが置いてあった。案内した"宇宙人"は男と女の二人で、男は完全な日本語を話し、女は英語を使う。…、べつに口を動かさなくても、心霊術用語でいうテレパシー(精神感能力)で話は通じる。」「円盤内に設置された、特別のカラー・テレビようのスクリーンで、…月の裏側を見た。その光景は、"先輩"のアダムスキーが報じているのとは違って、都会らしきものはなく、水とコケがあっただけ。…他の天体に乗せていってくれることを宇宙人と約束して。円盤を降りた…」その折「持参した日本製ビールまで宇宙人といっしょに飲んだ」のも御愛敬。更に、金星の出身を自称する葉山の、また「宇宙船に乗って『太陽系外の惑星に行ってきた」てふ東京の二例に加へ、例の協会主宰にも言及。
 眼目の「宇宙ボタル」は、同年2月に米国初の有人弾道飛行に成功した宇宙飛行士ジョン・グレンの目撃談に端を発する様です。「大きさは1㌢かそれ以上の、非常に明るい、ホタルのような色、あるいは、かすかな黄色を帯びた緑色の物体が、窓のそばを数百個通り過ぎていった。そのスピードは、時速八㌔から十㌔ぐらい…。地球のカゲのところを回って、日の出を抑えようとしたときに毎回見えた。」彼に先駆けて飛行に成功したソ連のゲルマン・チトフも、似た体験を渡米時に吐露。更に「さる五月はじめ、アメリカの有翼ロケット機X15号に乗って、七万三千㍍の高度を飛んだジョン・ウォーカーは、…飛行中まったく気がつかなかったのに、機体に取り付けた自動カメラのフィルムには、ちゃんと"宇宙ボタル"が写っていたのである。」因みに、宇宙ボタルはアダムスキーも著書で言及とか。尚、劈頭掲載の図版からも判る通り、この記事は、米国二人目の旋回飛行を果たしたスコット・カーペンターが5月に撮影した写真に基づいてゐます。

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「宇宙人はそこにいる」(「週刊漫画サンデー」昭和34年)

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 前回登場の宇宙友好協会。「特集 宇宙人はそこにいる! 空飛ぶ円盤に乗ってきた男!!」(「週刊漫画サンデー」昭和34年9月1日 14~19頁)は、7月25日に高尾山山頂大見晴台で開かれた……

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「宇宙人が地球を看視する」(「サンデー毎日」昭和34年)

 空飛ぶ円盤の搭乗員、宇宙人てふ言葉も、今や一部で使はれる卑語として僅かに耳にするばかり。本来の意味で用ゐられる機会は、まづ無いのでは。例へ空想科学の分野でも、荒唐無稽に堕ちるをかそけみ、他の表現を模索せざるを得ないかと。ましてや彼等との邂逅を主張するなぞ、よもや正気の沙汰とは思はれないでせう。……

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「江戸時代から円盤は飛んでいた」(「週刊読売」昭和39年)

 先の通し講談、快甫鼠責めに触れ、意外や貞水先生の口から「UFO」なる略称が幾度か発せられたのが印象に残りました。一世を風靡した空飛ぶ円盤も今は昔、暫らくは陰謀論と古代史に収斂され細々と命脈を保つかに見えましたが、片や真相隠蔽説は殆ど廃れ、肝腎の目撃談さへ稀になる有様。すっかり飽きられてしまったのでせう。……

 

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「幽霊と化物づくり五十年」(「週刊事件実話」 昭和36年)

 「一龍斎貞水連続講談の会」、昨年葉月より七席に渡る通し口演が目出度く完結。伊右衛門の最期まで読み卒へるのは、当代随一の怪談師でさへ実は初めてとて、毎回満員。音盤では割愛された傳助殺しに加へ、南瓜畑や妙然の条もたっぷり一席に独立。客を入れての公演ならでは、愛車趣味、談志や貞鳳の回想も織り交ぜての融通無碍、もとより女人の嫋々たる表現、色敵と実悪の対比も鮮やか。拝覧拝聴の心積りで、有難く堪能しました。
 この演目、……

 

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「午前2時 私の背後に立った白い影は…」(「女性セブン」昭和43年)

 國芳の芝居絵から着想を得た大入道に加へ、白無垢姿の鼠や河童といった装飾を配し、隼町の初芝居に描かれた化物屋敷での祝言は、南北ならではの陰陽混淆と申せませう。
 「オバケ屋敷探検記」と銘打ち、読者の滞在記を掲げたのが、……

 

 

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「『日本の易者』の嘘つき記録」(「週刊新潮」 昭和43年)

 今となっては流石に、予言の類はすっかり影を潜めた感があります。「『日本の易者』の嘘つき記録 『ポンド切下げ』の予言者も居たが」(「週刊新潮」 昭和43年1月13日)によれば……

 

 

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「吸血鬼を殺せ」 (「週刊少年マガジン」 昭和44年)

 帝劇にて TDV。サー・クリストファー・リィ所縁の愛称を持つ蝙蝠は新たに目を朱く光らせて頭上を旋回、加へて、案内板等を蜘蛛の巣や護謨製玩具で飾る凝り様は今回からでは。子供の頃から原作映画に馴染んだ身には、本邦封切より丁度半世紀を経た記念公演と独りごちながらも、地方で回る小屋との兼合ひゆゑか、ガウディによる龍を象った鉄扉を想はす、壮麗な城門の大道具が変更されたのには一抹の寂しさも。
 この主題に適ふ週刊誌切抜を探したものの……

 

 

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「恐怖の手記シリーズ1 きょうも娘の霊がさまよう」(「女性自身」 昭和38年) 

 昭和の週刊誌記事を通読して、今昔の感に堪えないのは、概ね実名を明記するのが通例だった事。綺譚怪異談の過半は「事実」てふ前提で綴られて来ましたので、夙に「創作」全般が見向きされぬ傾きを増す往時、より強く擬製が需められたのでせう。
 何かと煩い頃日なら、よもや幽霊の人物像の特定なぞ以ての他ですが、親族が率先して氏名を明かした験が少なくありません。……

 

 

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「あっ 霊魂がそこをさまよっている 全国調査 ゾーッとする特集」(「ヤングレディ」 昭和40年)

 前回は裏頁が目次だったのが幸ひ、号数が判明したのですが、残念ながら、家蔵切抜の過半は旧蔵者による年月日の書込があるばかり。号数か発行年月日か定かならぬ上、齟齬や記入漏れも散見。実に心許ないのです。そこで、探求の折に識別の一助となればと、画像を併載してみました。これも、……

 

 

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